フェラチオと顔射の文化について
ちょっと前に24歳のOLから「私の彼氏について」という話を聞いた。当然、エロ話も交えながら。大学2年のときに今の彼が最初だったとか、大学時代も一人暮しだったから週に2〜3回のペースでセックスを続けてきていたとか、彼女が上になってしている最中に彼は寝てしまうことが何度かあった、とか。
それにしても感慨深かったのが、その彼氏というのがいつでもどこでもフェラチオを強要していること。アナルを試してみたり野外プレイを試みたり殴ったり張り倒したり、研究熱心といえば研究熱心なんだけれど、話だけ聞いているとチンピラと同棲している気弱なオンナ、みたいに思えてくる。ところが大学ってくらいだからどちらも学歴は高い。某国立大学である。その後彼氏とも会ったけれど、爽やかなイイ男だった。
セックスというとやはりフェラチオがついてまわることになるらしい。孫引きの孫引きくらいで原典はすでに皆目わからないのだが、ポルノやらなんやらで(マニアが多そうだなぁ)フェラチオシーンが重要になってくるのは1970年代くらいからで、ビデオが急速に普及していく80年代に入って完全にフェラチオがセックスの定番メニューとして確立した、という話をどこかで読んだ。
一応書いておくとフェラチオとはペニスを舐めたりしゃぶったりする口唇を使うペッティング技術の一つ。もしかしたらガチガチのPTA関係者が読んでいるかもしれないしね(んなこたぁないって)。そう、ペッティングというのは愛撫のことといっておこう(面倒だから辞書も調べない)。
なんかの三流雑誌で1990年代には映像表現として顔射がひろがり、ついにはアダルトビデオで顔射のないものを探す方が難しいくらいになり、そして性体験の乏しい若者が初めての相手に対して顔射するようになってしまったというのが書いてあった。
顔射も一応解説しておこう。射精する時に相手(大抵は女性)の顔に精液をかけること、である。顔に向かって射精、だから顔射。
フェラチオはする側にとっては苦労の多いものだ。基本的に頭を下げるわけだから(男が立っているならばそうでもないが)、頭に血が昇る。口を塞ぐことになるわけだから、鼻の通りが悪かったり肺活量がない上に運動不足気味の人だったりすれば息も苦しい。そして何よりも、ペニスをしゃぶってもそのことそのものがキモチイイという種類のことではない。フェラチオをする側にとっての快感とはやはり心理的なものであって生理的なものではない。当たり前だが。
フェラチオをされる側でもフェラチオがキモチイイと思わない人が感覚的には35%くらい存在する。手でしごかれた方がよい、とすらいう人も結構いる(15%くらい)。フェラチオをされる側の快感の源も40%くらいは心理的なものかもしれない。
それにしてもわからんのは顔射だ。様式として、つまり「なんかそういうものらしいからやる」という以上にはする側もされる側もキモチイイはずがない。「かけてやった」「かけられてしまった」という心理的な要素だけが働くのだろう。だから顔射マニアの行き先には小便をかけたりかけられたりという道しかないのだと思う。
冷静に考えて、小便をかけられる状態というのは100%勃起状態ではない。また蛇足気味に解説すると、勃起すると尿道が圧迫されてきわめて小便を出しにくくなる。つまり勃起していない状態で相手の裸体に小便をかけているわけで、勃起してインサートして射精してという男性の性機能のスムーズな延長線上にあるとは言い難い。
SMもそうだけれど、わりと単純な人間の快感構造に依存しない、かなり高度な精神的交わりという要素が普通の人のセックスにも入り込んでいるのだろう。あとはその行為や様式をこなせるだけの精神性があるかどうかということになる。
初体験のカノジョに最初から顔射してしまったキミ、心を磨くんだぞ。
初めてシタときに(初体験じゃなくてもこの際かまわない)顔射されてしまったアナタ、髪につくとちょっと面倒だということだけは彼氏にいっといた方がいいですよ。
